みずしな

きのうはしごとで、とてもいやな思いをしてへとへとになってしまった。
おとなの男のひとが得意じゃないの(わたしもおとなのに)、社会人としてけっこう致命的だと思うんだけど。自責する必要はまったくないからわたしがこんなことを思うのもおかしいのだけど。
やり過ごすしかないね。しかたのないおとなが多すぎる。

町屋良平『生きる演技』を読んでいて、これめちゃくちゃすきだな、と思って胸が躍っている。
なかなか独特な文体なので(とても読みにくいのです)進みは遅いけれど、それでも没頭してしまう。
で、ふとわたしって口語体と文語体が混ざっているような、読みにくくて独特な文体に惹かれがちなのかもしれないと思い至る。
わたしは谷崎潤一郎の『春琴抄』に異様な執着を見せてるのだけど(ほんとうにやたらとすきなのだ)、
それは内容のすばらしさと、あの“独特な文体”によるところも大きいのだと思う。
今まで気づかなかったけれど、もっと遡ればわたしの原点って村上龍で、小学校高学年から高校くらいまで熱中していた作家で、あの方も口語体と文語体の混ざった“ような”(あくまで、“ような”)文体が新鮮で、すごく刺さったんだと思う。
そしてわたしの永遠のミューズ・柳美里さんの『雨と夢のあとに』も、文語と口語、一人称と三人称が混ざり合っている。
十代の頃に傾倒した作家の文章に、大いに影響を受けていることにこの歳になって気がつく。
点と点が繋がって線になった気がする。やっと。そうか、わたしの原点って龍先生‥なるほど。
なんかすきな作品をどっかに羅列しておきたい。じぶんのことがまた少しだけわかった。
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