みずしな

GWいかがお過ごしでしょうか。わたしは海岸を歩いたり、海を見ながら読書をしたり手帖を書いたりして過ごしました。またおしごとです。ありきたりで変わらない日々を愛しています。



wavebox の絵文字を初夏仕様にしてみました。
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読了本メモ〆(26/4/28〜)

5/4 『体の贈り物』レベッカ・ブラウン著/柴田元幸訳
4/28 『生きる演技』町屋良平著(文藝2023年秋号掲載)
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泣きそう。町屋良平『生きる演技』を引き続き読んでる。長い。けどおもしろい。ぐずぐずに煮詰まっていくかんじがある。ふしぎな余韻。閉塞感がとても苦しいけれど。どこにも居場所なんかないんだなって、われわれはただの子どもで、行く宛ても帰る宛てもなくて、しんどい記憶ばかりが身体の中に残ってる。忘れられないあの感覚。

 それでしばらく沈黙したあとで、「おれら、子どものころすごくしんどかったけど、どこか、これってなんかお話のなかのことっていうか、ただの作り話なんじゃないかって、そういう気がどうしてもしてて、そのしんどさに集中できなかったな。なんなんだよ。演技の仕事をするようになって、むしろやっぱこれは現実なんだなって、ちゃんとしんどくなってよかったよ」と言い終わるまえにすはすでに笹岡は寝息をたてていた。

「あーなんか懐かしかった。朝まで河原とか」
 それはおれの台詞では、と思った笹岡は、しかし子どもの頃別の川でこうしていた記憶があまりなく、「懐かしい」と口で言うことはむずかしいのだった。そのころに会った誰かのことも忘れている? 薬物パーティーにいそしむ両親に夜は家を空けてくれと言われ、まだ十一歳の身体さえなかったらこんな思いをせずに済んだのにと呪うことで何度も朝をむかえた。同時に、今夜だけは家にいさせてくれと毎晩祈った。そのころ川という景色に保存された祈りと呪いの境界を、われわれだけが記憶している。つまり児玉はいまは笹岡の代わりにそう言った。(中略) 笹岡は明るくなってようやく、家に帰れる気分になった。児玉はこの世界のどこにも身の置き場はないと思っている。

――町屋良平『生きる演技』
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きのうはしごとで、とてもいやな思いをしてへとへとになってしまった。
おとなの男のひとが得意じゃないの(わたしもおとなのに)、社会人としてけっこう致命的だと思うんだけど。自責する必要はまったくないからわたしがこんなことを思うのもおかしいのだけど。
やり過ごすしかないね。しかたのないおとなが多すぎる。

町屋良平『生きる演技』を読んでいて、これめちゃくちゃすきだな、と思って胸が躍っている。
なかなか独特な文体なので(とても読みにくいのです)進みは遅いけれど、それでも没頭してしまう。
で、ふとわたしって口語体と文語体が混ざっているような、読みにくくて独特な文体に惹かれがちなのかもしれないと思い至る。
わたしは谷崎潤一郎の『春琴抄』に異様な執着を見せてるのだけど(ほんとうにやたらとすきなのだ)、
それは内容のすばらしさと、あの“独特な文体”によるところも大きいのだと思う。
今まで気づかなかったけれど、もっと遡ればわたしの原点って村上龍で、小学校高学年から高校くらいまで熱中していた作家で、あの方も口語体と文語体の混ざった“ような”(あくまで、“ような”)文体が新鮮で、すごく刺さったんだと思う。
そしてわたしの永遠のミューズ・柳美里さんの『雨と夢のあとに』も、文語と口語、一人称と三人称が混ざり合っている。
十代の頃に傾倒した作家の文章に、大いに影響を受けていることにこの歳になって気がつく。
点と点が繋がって線になった気がする。やっと。そうか、わたしの原点って龍先生‥なるほど。
なんかすきな作品をどっかに羅列しておきたい。じぶんのことがまた少しだけわかった。
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悪夢ばかりを見る日々。夢は現実で得たたくさんの情報を処理・整理する作業だと主治医が言っていたので、そういうことにしておく。とりあえず頭の中でいろいろなことが行われているらしい。体が正常に動いている証拠でもあるのだ。たぶん。
昨夜も悪夢を見て、朝がやってくるのがずいぶん遅く感じられて心ぼそかった。でも朝は来た。ちゃんと来た。雨だったけれど、それでも朝にちがいなかった。
朝食にひさしぶりにバター・トーストを食べたらおいしかった。さいきんはもっぱらオートミールだったので。

八木詠美『アンチ・グッドモーニング』を読み、そして読み終えた。
社会人(会社員)として労働することは社会(会社)にじぶんの魂を差し出すことだと、暗黙のうちに了解されている世の中が末恐ろしかった。その理不尽さに疑問を持ちつつも誰も何も言わないし、怒らない。いや、言っているし怒っているのだけれど、それを表面に出すことはない。あるいは、社会が怒りを顕にすることをよしとしない。沈黙は美徳、えらい人の言いなりになること、隷属すること・従順であることがよしとされる世の中の、戦争と何がちがうのか。
やがて今、じぶんがいる世界が夢なのか現実なのかがあいまいになっていく。夢の(ような)世界で優しくされ、尊重されるいっぽうで、魂を差し出せと何者かが囁く。そうすれば楽にしてやるからと。
もしくはそれは「わたし」が現実世界で願っていることなのかもしれない。夢と現実の境界がうすくなっていくことを「わたし」は望んでいる。やがて夢に溶けてじぶんがなくなることを。

きのうから町屋良平『生きる演技』を読み始める。新訳が出ていたヘミングウェイ『河を渡って木立の中へ』も読んでいるのに、よりによって長篇の併読。まあいいか。ゆっくりゆっくり読んでいこう。
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メッセージをありがとうございました。お返事をさせていただいております。
waveboxに絵文字もぽこぽこっと、とってもうれしいです。ありがとうございます🫧




少し前に宮地尚子さんの『傷を愛せるか』(増補新版/ちくま文庫)を読みました。長距離移動の電車の中で、ほとんど一気読みでした。
数年前に買って冒頭少しだけ読んでいたのでけど、当時はあまりピンとこなくてしばらく積んでいて。
でも今なんとなく手にとって読んでみたらばこんなにもすーっと沁み込んで、
水を飲んでるみたいなその感覚に驚きました。そしてとってもうれしくなった。




お会いする方みなさん、花粉が‥という話題をされるので、花粉、今きっと凄まじいんだろうな‥と想像することしかできなくて申し訳ない。皆んななんとかすこやかにそれぞれの春を楽しめるといいな。
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ものがたりや文章の中に瞬く、美しい表現やことばを見つけると、厳かな気持ちになる。砂粒の中に紛れた硝子のかけら。みたいに、日を受けてそれはきらきらとひかる。
その輝きはごく一瞬のものかもしれないけれど、目を向ければ必ずそこにあって、「そこに在る」、という事実がわたしをうっそりと喜ばせる。安心させる。そうして人生を生き抜く心の支えとなってゆく。
生きてゆくってそういうものだとふと思う。テクストの中から救いや祈りのことばを拾い上げて、心の中に溜める。それらの光はいずれわたしを守る衣となる。
誰かたった一人でいい。その一人のためにものを書ければ。

うわごとのように言っていた、「幸せになろうよね」とは、祈りと、約束のことばであった。
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絵文字がぽこぽこ並んでいるのがかわいかったので、wavebox を置いてみました🧸👒
特になにが起こるわけでもないですが、お遊び感覚でぽこぽこ押していただくとわたしがうれしくなっちゃいます。
おきがるにどうぞ〜
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新しいお洋服を買って今朝卸したのですが、あまりにも可愛くてごきげんになってしまいました。
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数日PCを開いていなかった。
とにかく今は体調をととのえるのに躍起になっていて、あれこれ試行錯誤している。
きのうラジオで「ただしい糖質とのつきあい方」みたいな番組を聴いてなるほどと思ったので、radikoで聞き直して考えをまとめよう。

いろんなものから逃避するみたいに本ばかり読んでる。活字を追っていると活字で頭が埋まるからいっとき体調不良を忘れられる。

朝活、読書、手帖を書く、ストレッチと筋トレ。
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ここ一ヶ月分ほどの手帖や日記を読み返すと、手をつけたいタスクにいつも「掃除、整理・整頓、片づけ」と書いてあって、部屋の散らかり具合に苛々して無駄に疲れているんだなと思った。
日常的な掃除(床、棚の掃除、トイレや浴室などの水回りなど)に加えて、部屋の中の整理・整頓と片づけをし、あるべき場所にものがある状態、をつねに保ちたいのだけど、ぜんぜんできていなくて、できていないことに対してのフラストレーションも溜まって‥の悪循環。淡々と、こなしてゆくしかないのにね。
心地よくくらすために必要なのって結局、掃除とか、食事とか、身だしなみとか。生活の基本の「ととのえ」なんだろうなと思う今日この頃。
「人生に必要なものは古典」だってある人が言っていて、とっても腑に落ちた。古典って、仏教とかキリスト教とか、そういう宗教的な経典のことも指してるんだろうけれど、ようは「作務(掃除とか炊事とか、生活の基本的な行動)」なんだろうなってわたしは解釈した。
だからってこれまでのじぶんの習慣を一気に変えることはできないし、それこそ淡々と、少しずつなんだけど。
無理せず、でもできる範囲で、がんばれるときはちょこっとでもがんばってみて。
淡々と、日々をこなそうと思った。つくづく。

朝活、瞑想、ストレッチ、ジャーナリング。
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最近またトラベラーズノートのレギュラーサイズに字を書くようにしている。こういうのをジャーナリングというんだろうか。頭ん中の掃除のつもりで、とりとめもなく、なんでも書く。
年明け少ししてから手帖をバイブルサイズにしてたんだけど、やっぱりナローサイズに戻そうかな。サイズ感、ナローの方がしっくりくる。そろそろピアスナローも欲しくなってきた。

せっかくの休日、ゆっくり休もう。

朝活、瞑想、ジャーナリングonTNR
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朝活(朝活?)、今朝は瞑想、ストレッチ、トイレ掃除、ごみまとめ、をしました。
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ゆうこさんが短篇小説集を出されるとのこと、うれしい。「一口ちょうだい」なんて、なんてかわいい。
春が待ち遠しい。
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はじまりだって終わりだ。
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敬愛する漫画家さんが一昨年亡くなって、わたしはそのことを去年末に知って、それから、なんだか調子が悪い。
わたしの青春だった人。だいすきで、その方の作品はなん度も読んだ。本の装丁に使われていたら逃さず集めた。
今さら、なにを言ったって無駄なのわかってるけど、ほんとうにすきで、すきで、だから、ほんとうにかなしかった。
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誰かと、何かと、添い遂げるということ。を、考える。
生涯をとおして、心を尽くして、心をこめて、愛すること。
ときどき道が外れそうになっても、向き合って、軌道修正して、また歩き始めるということ。
目を逸らさないこと。
愛されている事実を信じること。
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ゆうこさんのアコスティックライブのチケット取った、28日、たのしみ。
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きのうはあまりにも疲れてしまって、虚無だった。
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きのうラジオで流れた松任谷由実の「春よ、来い」があまりにうつくしくて、ちょっとだけ泣きました。

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現像から帰ってきた写真たち、どれもよかった。
のちほどサイトにまとめます。
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なにをしたら満たされるのかもわからないままに、心底満たされたいと願いながらこの世を泳いでいる。
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推しジャンルにたいする、どこかやりきれない、思いきれない、歯がゆい思いがずっと、ある。
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追いつめられると、もうどこにも行けないし行きたくもないみたいな気持ちになり、かなしくなる。
なにをそんなにかなしんでいるのか、あるいは、そういうフリをしているだけなのか、わからないけれど、ともかくこの感情に名づけるならば「かなしくてやりきれない」。
さいきんはおだやかな気持ちから遠い場所にいて、人に会ったらしゃべったり笑ったりくだらないじょうだんを言ってみたり、しているのだけれど、心の中はつねに空疎でまるで風がよく通る空き部屋みたい。こんなんじゃいけないと思うからよけいに、なにかしたくてでもなにもできなくて、焦ってしまう。

創作、したいな。
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きのうひさしぶりにCharaが聴きたいな〜って思って車で流していたんだけど、ラジオに切り替えた瞬間ラジオでもCharaが流れてきてびっくりした。
きのうがお誕生日だったみたい。わーお。おめでとうございます。
なんだかうれしいな。
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上川涼子さんの歌集「水と自由」を買いました。
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文學界2026年2月号掲載の上川涼子さんの歌「hymn(不可知論者のための)」がとてもよかったんだ。
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水とタバコ
(この記事は喫煙を推奨するものでも、「煙草はやめるべき」と啓蒙するものでもありません。ただし、未成年の方の喫煙は法律で禁止されています。)



煙草は8年吸ってきて、5年くらい前にやめた。吸い始めた理由はありきたりすぎるのだけど、まあふつうに、ちょっといけないことがしたかったのだ。
それに加えて当時は食べる行為を嫌悪していたから、「食べたくなさ」と「食べたさ」の葛藤に悶える時、思考を鈍らせて誤魔化したかった。病気がそうさせたといえばそれまでだけど、ニコチンに依存していたことに変わりはない。
あほみたいに吸ってたのにやめる時は案外あっさりしていて、特別苦痛はなかった。それからずっと吸っていなかったのだけど、ときどき無性に吸いたくなる時は間々、あった。煙草を吸う夢を見ることもあった。でもめざめたらどうでもよくなっていることが多かったし、吸いたくなっても結局吸わずにいられた。なのに今日は、仕事が終わったら一服しようとなぜか心に決めて、それを目標にがんばった。

ここ数日ずっと精神がすり減っていて、呼吸ができなくて苦しかった。深呼吸の必要を感じていた。実際煙草を吸って深呼吸ができるわけはないのだけど、昔感じていた息のできなさがまた来たのがしんどくて、あとちょっと悪いことをしたくなってしまって(この歳で)、コンビニに行ってマルボロメンソールとライターを買った。
とても寒かったけれど、寒空の下で煙草を吸うのはなつかしくもあった。でも、吸ってすぐに、あ、こんなもんか〜、と思ってしまった。

期待していたほど息がしやすくはならなかったし、燻っていた苛々や鬱屈も消えなかったし、なんなら支払った600円(ライター入れたら700円ちょっと)が惜しいとさえ思った。
あと髪の毛に匂いがつくのもいやだなと思った。

もったいないからフィルターぎりぎりまで吸ったけれど。

喫煙している7分ほどのあいだにそんなことを考えたので、記念に(?)書き記しておく。

なんで昔はあんなに吸ってたんだろ〜と思ったけど、昔は昔でそういうのが必要だったんだなと思う。今は必要がなくなったってだけで。
でもいつかまた、今日みたいに煙草を強く求める時が来るかもしれないから、そういう時は、まーしゃあなしと思うことにして、今日はこれでおしまい。

畳む
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ほんとうは文芸の何もかも、ぜんぜんすきじゃないのかもしれないなとか思ったりして、うすら寒くなる。
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