まだわたしの海が凪だったころ、そんな時がわたしにもたしかに、あって、そのころはたぶん小学校の一年生かそのへんだったと思うのだけれど、わたしは守られていたしあらゆる大人にとって庇護の対象だった。
 すきなアーティストがいて、すきな音楽があった。おこづかいではじめて、自分のためにCDをいちまい購った。それからは何枚ものCDを集めた。当時はカセットテープというものもあって、借りてきたCDをそれに録音してなん度もなん度も聴いた。それこそテープがすり切れるくらいに。
 すきな作家ができた。その作家の本を学校の図書室や図書館で借りて読んだ。読み漁った。本がすきだと思った。家族の大人たちに呆れられるほど読んでいた。学校から家までの帰り道に、がまんできずに本を開いて読みながら帰った。事故に遭わなくてよかったと今なら思う。
 犬を飼っていた。茶色と黒の混ざった雑種の、大きな雄犬だった。わたしは徐々にものを食べることができなくなっていて、かれにつき合ってもらってたくさん、近所を散歩した。たくさん歩いて、たくさん走った。徘徊した。わたしは自分の体が醜く見えて仕方がなかった。砂糖を禁じた。肉を食べなくなった。自分で計量してごはんをよそった。きっちり80gじゃなければ食べなかった。それより0.1g多くても少なくてもだめだった。何もかもが気持ち悪かった。わたしの海は荒れはじめていた。家族に隠れてものを食べて吐いた。泣いたり喚いたりものを投げたり壊したりした。
 海は荒れていた。音楽と本がわたしの唯一の杭だった。杭はあの世とこの世を繋ぐ境界に卒塔婆のように立っていた。靄のかかった海を漂流していたわたしが沈まぬように、どこへも流れてゆかぬように、杭は長いあいだわたしをここに留め続けた。

 嵐が去って、わたしの海はまた凪に戻った。ものを書くことはなりわいでもなんでもないけれど、わたしの海を宥めるための手段となった。
 音楽があってよかった。本があってよかった。それを楽しめるわたしであってよかった。
 わたしがわたしを認められなくなった時に、かつてそうして救われた過去のことをわたしは思いだす。
 わたしの海はいつかまた嵐に飲まれるだろう。それでもわたしが求めるのはきっと救済である。
 世界が平和でありますようにと祈るいっぽうで、わたしがわたし自身が、平穏無事であればいいと心から思っている。
 わたしはわたしのために祈りを捧ぐ。

 嵐が来ても小舟が転覆しても、杭を掴むだけの力を残しておかれますように。

(24.0502)